大楠安紀ブログ

1982 FIFAワールドカップスペイン大会で、イタリアを優勝へと導いたパオロ・ロッシさんが、亡くなりました。
つい先日元アルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナさんも死去し、サッカー界のレジェンドがいなくなり寂しい年になりました。

スポーツは自分でする物で、スポーツ観戦はあまり好きではありませんが、見ていて面白いと思わせるのはサッカーワールドカップです。
就職し会社の独身寮にいたとき、それまでテレビを持っていなかったのですが、独身寮のテレビを見る機会がありました。
それが深夜にNHKで放送された1982 FIFAワールドカップスペイン大会でした。
引き込まれましたね。今以上に各国の個性が際立っていて、国家の戦いかと思わせるような激しい試合でした。
日本がワールドカップに出場することは、夢の又夢の時代です。

この大会前評判が圧倒的に高かったのは、ブラジルです。
ジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾの世界最高の「黄金の中盤」を持ち、これまでの世界でも最もファンタスティックで美しいサッカーをしました。
そのブラジルを破った立役者がパオロ・ロッシです。
八百長事件に巻き込まれ、3年間の出場停止処分を受け、ギリギリで1982 FIFAワールドカップのイタリア代表として出場しました。
イタリアは1部リーグで一勝もできず3引き分けでやっとやっと2次リーグに上がり、2次リーグは全大会優勝のアルゼンチン、世界最強のブラジルとの死の組となりました。
誰もがブラジルの勝利を疑わなかったイタリア対ブラジル戦ですが、ブラジルの前に立ちはだかったのがパオロ・ロッシです。
3年のブランクがありここまで無得点でしたが、いきなり3得点のハットトリックを達成し、一人でブラジルを破りました。

リアルタイムでこの試合を見ていましたが、パオロ・ロッシは透明人間で、ピッチにいるはずですが、見えません。
試合はブラジル11人対イタリア10人でやっているようでした。
カテナチオと呼ばれるイタリア最強の守備陣の運動量はブラジルを上回っていましたね。
それで、ゴール前にボールが運ばれるとどこからともなくパオロ・ロッシが現れてゴールを決めました。
誰もが信じられませんでしたが、凄い試合でしたね。
パオロ・ロッシはこのあと、準決勝の対ポーランド戦、決勝の西ドイツ戦と大活躍し、得点王とともにイタリアを優勝へと導きました。

この試合以外も面白かったですね。絶対に諦めないゲルマン魂西ドイツ対華麗なシャンパンサッカーフランス。
イングランド、ベルギー、ソビエト連邦といった国々。初出場のアルジェリア、カメルーンのアフリカ勢。
アルゼンチン代表として初出場したディエゴ・マラドーナは、ブラジルに子供扱いされ相手選手への報復行為で一発退場。
しかしながら、次の1986 FIFAワールドカップはマラドーナの大会となりました。

古き良き時代のノスタルジーに浸りながら、本来あったはずの東京オリンピックが新型コロナ感染症のため延期となった今年ももう終わろうとしています。
来年はどんな年になるのでしょうか。


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